2008年10月18日
茸狩り
この間、段戸山へ茸狩りと釣を兼ねて出かけました。
現地集合で6人の仲間が集まり釣のメンバーと茸狩りのメンバーと別れ・・・
茸狩りのメンバーは段戸山の林道を歩きながら茸を探し・・・
林道の斜面を登ったり降りたりで獲物を探すんですが
なかなか見つからないのです。それでも他のメンバーが一人が通った跡で
一株見つけると、その周りにパタパタと見つかるのです・・・・
獲物は「アカイロモミタケ」「タマゴタケ」「ホコリタケ」etc・・・
少し前まではよく食用にした「スギヒラタケ」は2004年に腎臓疾患の
ある人が食して死亡してから、採取されなくなり一杯見ることが出来ます。
3時間半位の茸狩り、獲物は意外に少なかった・・・
6人で分けると・・・・・・
現地集合で6人の仲間が集まり釣のメンバーと茸狩りのメンバーと別れ・・・
茸狩りのメンバーは段戸山の林道を歩きながら茸を探し・・・
林道の斜面を登ったり降りたりで獲物を探すんですが
なかなか見つからないのです。それでも他のメンバーが一人が通った跡で
一株見つけると、その周りにパタパタと見つかるのです・・・・
獲物は「アカイロモミタケ」「タマゴタケ」「ホコリタケ」etc・・・
少し前まではよく食用にした「スギヒラタケ」は2004年に腎臓疾患の
ある人が食して死亡してから、採取されなくなり一杯見ることが出来ます。
3時間半位の茸狩り、獲物は意外に少なかった・・・
6人で分けると・・・・・・
2008年10月17日
ウェィパ釣行記(vol.5)
ツナやトレバリーを追いかけ、ショア&オフショアを行ったり来たり、その間に釣った魚の種類は、河豚、黒鯛、鯰、クイーンフィッシュetc・・・・
釣り上げた魚、全部を写真に収めていれば、認定魚種に沢山追加できたのに・・・
食事も、結構美味しく想像していたよりホテルの食事が良かったです。
理由を聞くと、シェフが中国人らしく、改めてお箸の国の料理は美味しい。
マッドクラブも漁師さんに頼んでおいて釣りの帰りに頂き、ホテルで調理を頼んで美味しく頂きました。すごくジュシーで濃厚な味でした。帰りにケアンズで見たお値段はウェィパの3倍くらいでした。
楽しかった、あっと言う間の4日間でした。後ろ髪を惹かれる様な想いでウェィパの飛行場に・・・・・
もう一度行きたいと帰りに思いに・・・
翌年、再度出かけました。
野生のペリカン・・・初めてづくしのオーストラリア釣行でした。
釣り上げた魚、全部を写真に収めていれば、認定魚種に沢山追加できたのに・・・
食事も、結構美味しく想像していたよりホテルの食事が良かったです。
理由を聞くと、シェフが中国人らしく、改めてお箸の国の料理は美味しい。
マッドクラブも漁師さんに頼んでおいて釣りの帰りに頂き、ホテルで調理を頼んで美味しく頂きました。すごくジュシーで濃厚な味でした。帰りにケアンズで見たお値段はウェィパの3倍くらいでした。
楽しかった、あっと言う間の4日間でした。後ろ髪を惹かれる様な想いでウェィパの飛行場に・・・・・
もう一度行きたいと帰りに思いに・・・
翌年、再度出かけました。
野生のペリカン・・・初めてづくしのオーストラリア釣行でした。
2008年10月16日
ウェィパ釣行記(Vol.4)
アダムがグレッグと何か話し、私にディープシーラインでポールに際を深く沈めてハイスピードリトリーブで釣りをしなさい。と言う様な事を指示、早速キャスト、リトリーブ、ガッンとロッドもリトリーブしていた左手も止まってしまう強烈な手ごたえ、余ったラインをリールに急いで巻き取り日本では滅多に、味わうことが出来ないリールファイトです。掛かると同時にアダムはボートをポールから離します。
頭の中は真っ白に、何もかも吹き飛んでただ魚とのやり取りの世界へ、顔はニヤニヤ状態だと思います。10分位か、もう少し時間が長かったかは分かりませんが、上がってきた魚はティリーフ(お茶の葉)トレバリーでした。その名の通り体にお茶の葉を散らしたような模様があります。掛かってくるトレバリー体長はどれも80cm前後、2~3kg、ポールで次から次へとトレバリーを釣り上げ、気持ちの良い気分で昼食をとりボーッとしていると、アダムが「次はどんな魚が釣りたい」と言う様な話の中に「ツナ」が出ました、出発前に聞いた記憶がある「ロングテールツナ」「ミナミマグロ」、どんな釣り方をするかも判らないままに、アダムに「ツナ」と言っていました。
ボートはツナを求めてひたすら走り続けます。前方に鳥山、海には飛沫が上がっています。飛沫に向かってボートは走り、飛沫の手前で減速「キャスト」の声がアダムから飛びます。#10ディープシィラインをキャストすばやくリトリーブ・・・
そんな動作を鳥山に向かってはキャスト&リトリーブ、全力で走るボートの上から
振り落とされそうなりながら・・・キャストの体制のまま海の飛沫(ボイル・・・魚が群れで就餌する時にお湯が沸く様に水面がざわめくこと)に突撃、ストップ&キャスト・・・
滅茶苦茶面白い、釣りとハンティングを併せた面白さ、何回か繰り返したとき私のキャストしたサーフキャンディー(西洋毛鉤の名前)にツナがスローモーションでも見る様にアタック!見事にフッキング・・・それからが大変でした、リールからラインが高速で一気に150mくらい出て行く、みるみるリールにまいてあるラインの残量が心細くなる、思い切りロッドを立ててツナを止め、ラインを巻き取る、アダムはボートをあやつりツナに近づけ・・・ツナの走りは止まったが、ツナとの綱引きが延々と続くではないかと思えるほど、ラインを巻き取ってはまた引き出されるファイトを30分以上・・・ロッドを持つ腕は悲鳴を上げ、ラインブレイクでもいいから早く止めたい・・・・
最後は船べりに近づいたツナをアダムが玉網で掬い上げてくれ終了・・・・
暫く放心状態、80cm位のツナで海の化け物と戦った様な気持ちに・・・・
ティリーフトレバリー
頭の中は真っ白に、何もかも吹き飛んでただ魚とのやり取りの世界へ、顔はニヤニヤ状態だと思います。10分位か、もう少し時間が長かったかは分かりませんが、上がってきた魚はティリーフ(お茶の葉)トレバリーでした。その名の通り体にお茶の葉を散らしたような模様があります。掛かってくるトレバリー体長はどれも80cm前後、2~3kg、ポールで次から次へとトレバリーを釣り上げ、気持ちの良い気分で昼食をとりボーッとしていると、アダムが「次はどんな魚が釣りたい」と言う様な話の中に「ツナ」が出ました、出発前に聞いた記憶がある「ロングテールツナ」「ミナミマグロ」、どんな釣り方をするかも判らないままに、アダムに「ツナ」と言っていました。
ボートはツナを求めてひたすら走り続けます。前方に鳥山、海には飛沫が上がっています。飛沫に向かってボートは走り、飛沫の手前で減速「キャスト」の声がアダムから飛びます。#10ディープシィラインをキャストすばやくリトリーブ・・・
そんな動作を鳥山に向かってはキャスト&リトリーブ、全力で走るボートの上から
振り落とされそうなりながら・・・キャストの体制のまま海の飛沫(ボイル・・・魚が群れで就餌する時にお湯が沸く様に水面がざわめくこと)に突撃、ストップ&キャスト・・・
滅茶苦茶面白い、釣りとハンティングを併せた面白さ、何回か繰り返したとき私のキャストしたサーフキャンディー(西洋毛鉤の名前)にツナがスローモーションでも見る様にアタック!見事にフッキング・・・それからが大変でした、リールからラインが高速で一気に150mくらい出て行く、みるみるリールにまいてあるラインの残量が心細くなる、思い切りロッドを立ててツナを止め、ラインを巻き取る、アダムはボートをあやつりツナに近づけ・・・ツナの走りは止まったが、ツナとの綱引きが延々と続くではないかと思えるほど、ラインを巻き取ってはまた引き出されるファイトを30分以上・・・ロッドを持つ腕は悲鳴を上げ、ラインブレイクでもいいから早く止めたい・・・・
最後は船べりに近づいたツナをアダムが玉網で掬い上げてくれ終了・・・・
暫く放心状態、80cm位のツナで海の化け物と戦った様な気持ちに・・・・
ティリーフトレバリー
2008年10月15日
ウェィパ釣行記(Vol.3)
翌朝、何時も通り(日本で会社に行く時間、因みに私は6時位)に目が覚め、シャワーを浴びてスッキリしてから、寝覚めのビールを飲み、仕掛けの「ビミニツイスト」の点検をおもむろに始めたのです。7時の集合でしたので朝食は6時、皆を起こし食堂へ、バイキング式の食事をゆっくり済ませ、部屋へ戻り 道具を揃えてホテルの駐車場へ出ると、ガイドの3人はもう来ていた。
昨日会わなかったガイドの一人「アダム」と自己紹介、といっても私は英語が全く駄目、自分の名前を言うのがやっとです。アダムはかなり若いガイドでまじめそうな青年です。仲間は5人でガイドは3人、2・2・1の組み合わせ、初日は私がアダム・・・・・!英語が駄目な私は引きつる笑顔でアダムと握手です。
ボートを引っ張って港のボートアプローチ場へ、ホテルから20分程のドライブ(何か質問されてもただ笑顔をするだけのドライブ)、ボートを降ろすと気持ちはFishingモードでワクワクしながら#12、#10×2本セットしてフライをシステム事取り付け「GO!」ボートは発進、数日間ガイド任せの大名Fishingです。ボートは白い航跡を引きながら、心地良い振動で私を包んでいます。不思議に笑みが涌きあがり、自分の憧れでしかなかった処に来ていると想うと、自然に笑みがこぼれてくる。
最初に釣をした処は港を出て左手方向に暫く(時間は測っていなかった)走った処浅目のフラットですが2m~3m位の深さです。最初にキャストしたフライは、#10ロッドに結んだクラウザーミノーの#2/0です。期待を込めてキャスト「グッドキャスト」とアダムは誉めてくれたのです。でもNOFishでした。
場所を移動、海の中にある航路標識の灯台(私たちはポール呼んだ)に向かい先に来ていたグレッグの船に合流、ポールで2人はロッドを根元から曲げて、ティリーフトレバリーを釣っていました。
昨日会わなかったガイドの一人「アダム」と自己紹介、といっても私は英語が全く駄目、自分の名前を言うのがやっとです。アダムはかなり若いガイドでまじめそうな青年です。仲間は5人でガイドは3人、2・2・1の組み合わせ、初日は私がアダム・・・・・!英語が駄目な私は引きつる笑顔でアダムと握手です。
ボートを引っ張って港のボートアプローチ場へ、ホテルから20分程のドライブ(何か質問されてもただ笑顔をするだけのドライブ)、ボートを降ろすと気持ちはFishingモードでワクワクしながら#12、#10×2本セットしてフライをシステム事取り付け「GO!」ボートは発進、数日間ガイド任せの大名Fishingです。ボートは白い航跡を引きながら、心地良い振動で私を包んでいます。不思議に笑みが涌きあがり、自分の憧れでしかなかった処に来ていると想うと、自然に笑みがこぼれてくる。
最初に釣をした処は港を出て左手方向に暫く(時間は測っていなかった)走った処浅目のフラットですが2m~3m位の深さです。最初にキャストしたフライは、#10ロッドに結んだクラウザーミノーの#2/0です。期待を込めてキャスト「グッドキャスト」とアダムは誉めてくれたのです。でもNOFishでした。
場所を移動、海の中にある航路標識の灯台(私たちはポール呼んだ)に向かい先に来ていたグレッグの船に合流、ポールで2人はロッドを根元から曲げて、ティリーフトレバリーを釣っていました。
2008年10月14日
ウェィパ釣行記(Vol.2)
ともあれ14日当日が来ました。夜8時5分出発で2時間前に名古屋空港へ着きましたが変です、人がいませんガラガラに空いています、本当に行けるでしょうか?
不安になります。数えることが出来る人の中搭乗手続き済ませとりあえず夕食を軽く済ませ様と喫茶店へ、ゆっくりとくつろいで暫くすると搭乗手続き案内のアナウンス、国際線の搭乗ロビーへやっぱりロビーもガラガラの状態の中、案内共に、とりあえず機中の人となり一安心です。
機内食を食して8時間のフライト、とりあえず眠りましょうと空いている席へ移動をして体を横に毛布を掛け一眠り、ゆっくり眠りから覚めるとケアンズまで到着1時間前のところでした、時計を見るとAM4時、到着は5時頃無事に到着、入国手続きを済ませロビーに出ます。まだ明け切らないオーストラリアの空をロビーの窓から不思議な気持ちで眺めています。
難問は言葉に不自由の無い仲間に、お願いをして、腹ごしらえをロビーに在るサンドイッチとコーヒーのスタンドで、言葉に不自由ですがメニューを指差して注文したサンドイッチで空腹は収まり、荷物番の仲間を残し探索散歩に出かけ腹ごなしです。
国内線空港はロビーの正面を向いて右手方向に少々歩く、ただし「ウィーパ」行きの飛行機は国内線飛行機会社が倒産、飛行機が飛ぶかどうかはわかりません。その上にまだ朝早いためにガイドに連絡も取れない。そこで開いたばかりのレンタカー受付へ言葉が堪能な仲間が行き事情を話し、行き先を告げ、借りられるかと交渉したが乗用車は貸せないとの連れない返事です。
地図を購入して「ウィーパ」を探すととても一日で行ける距離では無い、まともな道路はケアンズの町を抜けると全く有りません。まるでラリーコースでとても無理です。 空港ロビーに何時までも居る訳にも往かないのでケアンズの町を観光する事にしてタクシーを使い町まで出ました。とりあえず当ても無くプラプラとケアンズの町に中を観光です。
仲間がガイドの所へ電話をかけ諸事情を説明、代替の国内便がカンタス航空でフライトするとの事、PM4:00に、それまでは又観光です、町の案内所でFsihing Shopを聞き、歩いてお店まで出かけ、お店では自分のお土産として「ポップフライタイイング」の洋書を手に入れました。他の皆さんはフライや小物、本などを購入、時間を潰した。
1時間30分位のフライトです、飛行機は30人乗り位の小型機、仲間の一人は手前に駐機してあった大きい飛行機と思っていたようで、実際の飛行機を見て唖然としていました。フライトの間、窓から眼下を見て「これはレンタカーで往こうとするとかなり危険」と思いました。舗装路は全く見えずに、赤い色のダート道路ばかりです。
着いた飛行場もアスファルトには見えず赤土の原っぱの様です。飛行場のオフィスも掘建て小屋の様、手続きを済ませ外へ出ると、出迎えにガイドのデエィヴとグレッグが来ていた。握手で頭を下げてしまう日本人の癖が出てしまいました。
長いような、短いような一日が過ぎやっと「ウィーパ」です、ガイドの二人にホテルまで送ってもらい、夕食を一緒にすると言う約束をして別れホテルの部屋へ入り荷物を解いて釣具の点検です。
ホテルのバーで「ゴールド」という地元銘柄のビールで喉を潤していると、ガイドのデェィブが奥さんと現れ食堂へ、オーストラリアで初めてのまともな食事です。ワインで乾杯をして自己紹介を仲間の英語力で通訳をしてもらい「ワイワイ」と食事会は過ぎ、翌日の集合時間をデェィブと決めて別れ、我々は部屋へ入り、もう少しビールを飲んで就寝。
不安になります。数えることが出来る人の中搭乗手続き済ませとりあえず夕食を軽く済ませ様と喫茶店へ、ゆっくりとくつろいで暫くすると搭乗手続き案内のアナウンス、国際線の搭乗ロビーへやっぱりロビーもガラガラの状態の中、案内共に、とりあえず機中の人となり一安心です。
機内食を食して8時間のフライト、とりあえず眠りましょうと空いている席へ移動をして体を横に毛布を掛け一眠り、ゆっくり眠りから覚めるとケアンズまで到着1時間前のところでした、時計を見るとAM4時、到着は5時頃無事に到着、入国手続きを済ませロビーに出ます。まだ明け切らないオーストラリアの空をロビーの窓から不思議な気持ちで眺めています。
難問は言葉に不自由の無い仲間に、お願いをして、腹ごしらえをロビーに在るサンドイッチとコーヒーのスタンドで、言葉に不自由ですがメニューを指差して注文したサンドイッチで空腹は収まり、荷物番の仲間を残し探索散歩に出かけ腹ごなしです。
国内線空港はロビーの正面を向いて右手方向に少々歩く、ただし「ウィーパ」行きの飛行機は国内線飛行機会社が倒産、飛行機が飛ぶかどうかはわかりません。その上にまだ朝早いためにガイドに連絡も取れない。そこで開いたばかりのレンタカー受付へ言葉が堪能な仲間が行き事情を話し、行き先を告げ、借りられるかと交渉したが乗用車は貸せないとの連れない返事です。
地図を購入して「ウィーパ」を探すととても一日で行ける距離では無い、まともな道路はケアンズの町を抜けると全く有りません。まるでラリーコースでとても無理です。 空港ロビーに何時までも居る訳にも往かないのでケアンズの町を観光する事にしてタクシーを使い町まで出ました。とりあえず当ても無くプラプラとケアンズの町に中を観光です。
仲間がガイドの所へ電話をかけ諸事情を説明、代替の国内便がカンタス航空でフライトするとの事、PM4:00に、それまでは又観光です、町の案内所でFsihing Shopを聞き、歩いてお店まで出かけ、お店では自分のお土産として「ポップフライタイイング」の洋書を手に入れました。他の皆さんはフライや小物、本などを購入、時間を潰した。
1時間30分位のフライトです、飛行機は30人乗り位の小型機、仲間の一人は手前に駐機してあった大きい飛行機と思っていたようで、実際の飛行機を見て唖然としていました。フライトの間、窓から眼下を見て「これはレンタカーで往こうとするとかなり危険」と思いました。舗装路は全く見えずに、赤い色のダート道路ばかりです。
着いた飛行場もアスファルトには見えず赤土の原っぱの様です。飛行場のオフィスも掘建て小屋の様、手続きを済ませ外へ出ると、出迎えにガイドのデエィヴとグレッグが来ていた。握手で頭を下げてしまう日本人の癖が出てしまいました。
長いような、短いような一日が過ぎやっと「ウィーパ」です、ガイドの二人にホテルまで送ってもらい、夕食を一緒にすると言う約束をして別れホテルの部屋へ入り荷物を解いて釣具の点検です。
ホテルのバーで「ゴールド」という地元銘柄のビールで喉を潤していると、ガイドのデェィブが奥さんと現れ食堂へ、オーストラリアで初めてのまともな食事です。ワインで乾杯をして自己紹介を仲間の英語力で通訳をしてもらい「ワイワイ」と食事会は過ぎ、翌日の集合時間をデェィブと決めて別れ、我々は部屋へ入り、もう少しビールを飲んで就寝。
2008年10月13日
ウェィパ釣行記(Vol1)
不思議な気持ちだったのです、何十年前に小学校で覚えた名前の土地に、ロッドを抱えて立っています。「ウェィパ」ポーキサイト積出港として、また、産地として地理の一環で覚えたのです。
目の前に広がる海は、凄く静かで穏やかな海です。でも地図を見ると、外海ではなく湾であることが良く判ります。
これから数日ロッドを振る舞台、逸る気持ちを抑えながらも、身体はわくわくうきうき。
ロッドをセットし終えるのを見計らって、ガイドはボートを滑らします。ボートは穏やかな海に白い航跡を引きながら、心地良い振動で私を包んでいます。振動に包まれながら、笑みをこぼし、肩を震わせている自分がいます。この釣りを始めた三十数年前には外国へ釣りはただ憧れでしかなかった処に自分自身がいる現実に笑みが・・・・・
2001年9月11日(月曜)アメリカでは大変なことが起きていた。私は、11日の朝何気なくテレビをつけて起き抜けのぼんやりする頭で、煙りを吹き上げる高いビルの映像を見ていました。何が起きたかまったく理解できずにTV画面を見ていた。アナウンスは国際貿易センターに飛行機が激突したと叫んでいました。最初は大変な事故になったと思っていたが、2機目の飛行機が激突する映像を見たとき、アナウンスはテロリストによる攻撃だと叫んでいました。
3日後の14日にはオーストラリアへ出発の予定、TVのニュースではアメリカやヨーロッパ、オセアニアの国際便の飛行はテロの影響で自粛、オーストラリアは夢と消えたと思ったが、13日のTVニュースではオセアニア方面の飛行は解除されたと言うテロップが流れ、何とかオーストラリアへはいけるようになりました。
14日、出発の3時間前に一緒に行く仲間のところへガイドから電話が入り現地での国内線飛行機会社(アンセット)が倒産、国内便が無くなったとのことです。先の思いやられる釣り行になりそうな予感ですが、釣り人の性で当然、幸先の良いことしか考えないお気楽道中です。
私は、旅行代の他に、タックルを新調、ロッドはセージRPL-XI#12、#10リールはエーベルのビックゲーム4N、3Mシステム2#11、アイランダー4.0、ラインはフローティングのクイックシューター#10#12、シンキングはディープシー#10・#12、Flyも沢山巻き、数年はタイイングの必要が無いほどです。お陰で余分に費用がかさみました。それで中止となったら泣くに泣けない貧乏くじです。
目の前に広がる海は、凄く静かで穏やかな海です。でも地図を見ると、外海ではなく湾であることが良く判ります。
これから数日ロッドを振る舞台、逸る気持ちを抑えながらも、身体はわくわくうきうき。
ロッドをセットし終えるのを見計らって、ガイドはボートを滑らします。ボートは穏やかな海に白い航跡を引きながら、心地良い振動で私を包んでいます。振動に包まれながら、笑みをこぼし、肩を震わせている自分がいます。この釣りを始めた三十数年前には外国へ釣りはただ憧れでしかなかった処に自分自身がいる現実に笑みが・・・・・
2001年9月11日(月曜)アメリカでは大変なことが起きていた。私は、11日の朝何気なくテレビをつけて起き抜けのぼんやりする頭で、煙りを吹き上げる高いビルの映像を見ていました。何が起きたかまったく理解できずにTV画面を見ていた。アナウンスは国際貿易センターに飛行機が激突したと叫んでいました。最初は大変な事故になったと思っていたが、2機目の飛行機が激突する映像を見たとき、アナウンスはテロリストによる攻撃だと叫んでいました。
3日後の14日にはオーストラリアへ出発の予定、TVのニュースではアメリカやヨーロッパ、オセアニアの国際便の飛行はテロの影響で自粛、オーストラリアは夢と消えたと思ったが、13日のTVニュースではオセアニア方面の飛行は解除されたと言うテロップが流れ、何とかオーストラリアへはいけるようになりました。
14日、出発の3時間前に一緒に行く仲間のところへガイドから電話が入り現地での国内線飛行機会社(アンセット)が倒産、国内便が無くなったとのことです。先の思いやられる釣り行になりそうな予感ですが、釣り人の性で当然、幸先の良いことしか考えないお気楽道中です。
私は、旅行代の他に、タックルを新調、ロッドはセージRPL-XI#12、#10リールはエーベルのビックゲーム4N、3Mシステム2#11、アイランダー4.0、ラインはフローティングのクイックシューター#10#12、シンキングはディープシー#10・#12、Flyも沢山巻き、数年はタイイングの必要が無いほどです。お陰で余分に費用がかさみました。それで中止となったら泣くに泣けない貧乏くじです。
2008年10月12日
認定魚種・・・PART6
キャットフィッシュ(ナマズ)・・・1回目のウェィパで釣りました。トレバリーを狙っていて、ブラインド状態で西洋毛鉤をリトリーブしていたら突然、強烈な当たりファイトすること30分位、ガイドが掬い上げた魚を見て、私はとても触ろうとは思いませんでした。
写真は手を広げて触ろうとは思わなかった状態です。
2008年10月11日
認定魚種・・・PATR5
ボーンフィッシュ・・・・ニューカレドニアの北の端で釣りました。ロッジに泊まり4日の釣で、初日に釣り上げた1匹・・・この1匹だけで以後まったくボーンフィッシュは連れませんでした。6人で釣ったボーンの中で一番のサイズだと言われ日本に帰り、大阪でたこ焼きを奢らされました。
もう一度行きたい所です。
アマゴ・・・岐阜の川で釣りました、サイズは20cmそこそこでしたが大変綺麗でした。久しぶりに地図と睨めっこをしながら探した川・・・サイズより見つけた川に好きな魚がちゃんと居たことが非常に嬉しかったです。
私のカーティスクリーク(秘密の小川)です。
2008年10月10日
認定魚種・・・PART4
ブルーギル(世の中ではブラックバスに次いで悪役ですが西洋毛鉤で釣ると一味違う)・・・次男に西洋毛鉤釣をやらせようと間単に釣れそうな魚と思い近所の野池に出かけて釣った1匹です。次男とフローター(釣り用の浮き輪)に乗り、少し沖で釣上げた1匹・・・・次男もちゃんと釣上げたんですが、次男は西洋毛鉤釣には、嵌らず野球に夢中になり私の夢も終わりました。
ブラックバス(人の身勝手な行動で悪役になり大変な運命な魚ですが、これも西洋毛鉤で釣ると結構嵌ります)・・・これは琵琶湖へ次男を誘って釣をした時の1匹です。トンボに似せて巻いた毛鉤を金魚藻(沈水性の浮遊植物)の隙間に投射(キャスティング)して直ぐに水が爆発して竿(ロッド)を絞り込んだ・・・結構、嵌って琵琶湖へ何回も何年も通いました。
2008年10月09日
師匠・・・・PART4
昨日の夜にS木師匠から、メル・クリーガー師匠が鬼籍に入られたとききました。西洋毛鉤釣の世界にすごく大きな功績を遺し、後に続く新しい世代に大いなる光明を照らし、アメリカばかりか日本および世界中の西洋毛鉤釣師の良き父親さんでした・・・
ご冥福を・・
ご冥福を・・
2008年10月08日
認定魚種・・・PART3
バラマンディ・・・2回目の「ウェィパ」で釣りました。初日は到着が夕方近くホテルにチェックインし、待っていましたとばかりに釣り支度です、ホテルの裏が直ぐに気持ちの良いビーチで何かが釣れるだろうと出かけました、ほんの小1~2時間位の釣りです、僕の竿にバラマンディがかかりS木師匠が「良いサイズだね」と一言、釣行中に両手で抱える程のサイズをK田さんが釣り上げ、それがビデオに収録されています。K田さんのバラは80cmオーバー、当然僕の釣ったバラ(30cm位)も良いサイズだねの一言と共に・・・・
ちなみに、写真のバラは50cmオーバーです。
不明・・・これは、ニューカレドニアの海で釣りました。この時に私の着ていたアロハシャツがこの魚と同じような模様で、S木師匠の写真の餌食になりました。
2008年10月07日
認定魚種・・・PART2
黒鯛・・・浜名湖で釣りました、餌ではありませんちゃんと西洋毛鉤「ポッパー」です。僕はこれ一匹で後はまったくです、友人のM川さんは、去年は3枚くらい、今年7~8枚くらい「ポッパー」で釣り上げています。今年こそボート免許が欲しくなったことはありません、M川さんは去年浜名湖の黒鯛のために、ボート免許を取ったのです・・・
免許があればここぞと思う時に出撃出来るからいいなぁ、 私も、来年の頭にボート免許を取ろうと思います。
トレバリー・・・オーストラリア「ウェィパ」で釣りました。3度目の海外遠征でした、本当はカナダのバビーン川へスチールヘッドを釣りに行くつもりでしたが、S木師匠がロッジの予約を取ろうと問い合わせたら日程の良い所は全部予約で埋っていて、バビーンを断念・・・そこへ「ウェィパ」の話が持ち上がったので、日程を調べたら良かったのでいくことになったのです。
これも西洋毛鉤「ポッパー」で釣りました。
2008年10月06日
認定魚種
魚・・・西洋毛鉤釣を始めてから30数年経ちました。その間に釣った魚の種類は?また一生で何種類くらいの魚が釣れるかな?なんて時々思います、まだ西洋毛鉤釣を始めた頃は、管理釣り場の虹鱒位しか種類もいませんでした。
岩魚
山女
鰹(ニューカレドニアの海で・・・・)
岩魚
山女
鰹(ニューカレドニアの海で・・・・)
2008年10月05日
師匠・・・PART3
師匠・・・(私が勝手に思っているだけです。)
彼とは20年来の付き合いです。最初は、お店の人とお客でした。
彼は、西洋毛鉤釣(フライフィッシング)のお店で働いて居たのです。今は、独立をして西洋毛鉤釣の専門店を経営しています。
この世界(業界)では全国的な有名人です。そんな彼から、キャスティング(毛鉤をつけた道糸(フライライン)で竿を前後に振って投射すること)を習って、目から鱗でした、
彼に教えを請うまでは10年来独学のキャスティングで上手く無くてもそこそこに魚も釣れたんで、こんなものかと西洋毛鉤釣はと思っていたところ・・・・
彼は今年FFF(フェデレーション・オブ・フライフィッシャーズ)と言うアメリカの釣の非営利団体(内容は魚族の健全な保全と次世代の西洋毛鉤釣師の育成を目的としたもの。)のフライキャスティング・インストラクター・プログラム(これはもう世界標準のキャスティング技術、理論を教えるためのガイドラインです)のインストラクター・マスターを受験して見事合格したのです。ちなみにマスターの称号はアジアでは2人目だそうです。
素晴らしい・・・師匠(マスター)バンザイ!!
彼とは20年来の付き合いです。最初は、お店の人とお客でした。
彼は、西洋毛鉤釣(フライフィッシング)のお店で働いて居たのです。今は、独立をして西洋毛鉤釣の専門店を経営しています。
この世界(業界)では全国的な有名人です。そんな彼から、キャスティング(毛鉤をつけた道糸(フライライン)で竿を前後に振って投射すること)を習って、目から鱗でした、
彼に教えを請うまでは10年来独学のキャスティングで上手く無くてもそこそこに魚も釣れたんで、こんなものかと西洋毛鉤釣はと思っていたところ・・・・
彼は今年FFF(フェデレーション・オブ・フライフィッシャーズ)と言うアメリカの釣の非営利団体(内容は魚族の健全な保全と次世代の西洋毛鉤釣師の育成を目的としたもの。)のフライキャスティング・インストラクター・プログラム(これはもう世界標準のキャスティング技術、理論を教えるためのガイドラインです)のインストラクター・マスターを受験して見事合格したのです。ちなみにマスターの称号はアジアでは2人目だそうです。
素晴らしい・・・師匠(マスター)バンザイ!!
2008年10月04日
師匠・・・PART2
師匠(私が勝手に決めているだけです。)・・・
メル・クリーガーさん、25年位前に彼のキャスティング(釣り糸を竿で前後に振って毛鉤を投射すること)スクールに参加、とても丁寧な指導とウィットにとんだ説明(英語でしたので、通訳を聞いてそう思った)が印象的でした。以来、私の師匠です。最近、会ったのは5年くらい前、来日した時に会いました。
25年前に撮った2ショットの写真にサインをいただきました。懐かしそうに英語で話されていました。当然、通訳さんの手助けで、話がわかりました。
キャスティングスクールの時にもらった、サイン・・・・宝物です。
メル・クリーガーさん、25年位前に彼のキャスティング(釣り糸を竿で前後に振って毛鉤を投射すること)スクールに参加、とても丁寧な指導とウィットにとんだ説明(英語でしたので、通訳を聞いてそう思った)が印象的でした。以来、私の師匠です。最近、会ったのは5年くらい前、来日した時に会いました。
25年前に撮った2ショットの写真にサインをいただきました。懐かしそうに英語で話されていました。当然、通訳さんの手助けで、話がわかりました。
キャスティングスクールの時にもらった、サイン・・・・宝物です。
2008年10月03日
師匠
師匠・・・、私には、師匠(私が勝手に師匠と決めて居るだけです)と呼べる人が沢山居ます。
私の尊敬する師匠の一人に故人ですが、芦澤一洋さんが居ます。
芦澤さんの文章はとても洒脱で、描写した文章から風景や川の匂いが漂って来ます。本当に尊敬する大好きな人です。
会ったことはありません、残念・・・・・
私の尊敬する師匠の一人に故人ですが、芦澤一洋さんが居ます。
芦澤さんの文章はとても洒脱で、描写した文章から風景や川の匂いが漂って来ます。本当に尊敬する大好きな人です。
会ったことはありません、残念・・・・・
2008年10月02日
北海道 PART2
釣の合間の、お昼をちょっと豪勢にと言う事で「うに丼」美味しかった処へ行こうと、師匠・・・
ところが、記憶が曖昧の師匠の案内・・・
たどり着けたのが奇跡かな?腹の減ったイライラ気味の心と反対の笑顔でドライブ満喫。
オホーツクの海見ながら・・・
曖昧な記憶の中から師匠はちゃんと目的のお店にたどり着きました。師匠曰く「5年ぶりだけど良く着けたな」の一言・・・
当然、注文は「うに丼」・・・・
ああ、美味しかったなぁ
ところが、記憶が曖昧の師匠の案内・・・
たどり着けたのが奇跡かな?腹の減ったイライラ気味の心と反対の笑顔でドライブ満喫。
オホーツクの海見ながら・・・
曖昧な記憶の中から師匠はちゃんと目的のお店にたどり着きました。師匠曰く「5年ぶりだけど良く着けたな」の一言・・・
当然、注文は「うに丼」・・・・
ああ、美味しかったなぁ
2008年10月01日
北海道
私の師匠(勝手に私が思っているだけで・・・)です。師匠のお誘いで、北海道に行って来ました、洞爺湖サミットの前でしたが空港や道路は結構厳重な警備でした。
北海道は13年位前にやはり師匠と来ています、13年前は池田町を中心に10日くらい釣り三昧でしたが、今回は3泊4日の弾丸ツアーでした。
いいですね、森や川の流れがなんとなく大陸的で・・・
牧草地も大陸的です。
この魚は私が本州で13年以上追いかけてまったく姿を見ることが出来なかったんです・・・
それが北海道では、これでもかと私のつたない西洋毛鉤にガンガン、アタックしてくれました、嬉しかったなぁ・・・・・・
北海道は13年位前にやはり師匠と来ています、13年前は池田町を中心に10日くらい釣り三昧でしたが、今回は3泊4日の弾丸ツアーでした。
いいですね、森や川の流れがなんとなく大陸的で・・・
牧草地も大陸的です。
この魚は私が本州で13年以上追いかけてまったく姿を見ることが出来なかったんです・・・
それが北海道では、これでもかと私のつたない西洋毛鉤にガンガン、アタックしてくれました、嬉しかったなぁ・・・・・・
2008年09月30日
新緑の頃に
新緑が眩しい頃に富山の某河川へ・・・
川縁にピンク色の愛らしい花が今を盛りと咲いていました。
何十年か前なら、釣に夢中で川辺の木や花に目もくれずに釣っていたが、年とともに・・・・
彼はまだわき目も振らずに釣一筋・・・
後、十年も経つと他の楽しみを釣の中にも見つけるかな・・・・
川縁にピンク色の愛らしい花が今を盛りと咲いていました。
何十年か前なら、釣に夢中で川辺の木や花に目もくれずに釣っていたが、年とともに・・・・
彼はまだわき目も振らずに釣一筋・・・
後、十年も経つと他の楽しみを釣の中にも見つけるかな・・・・
2008年09月29日
今年の渓流シーズン初めに・・・PART2
新緑の眩しい季節に本流で・・・
無心で振り続けた13フィート5インチのスペイロッドを
ズズーンと引き絞った、本流育ちの「虹鱒」・・・
取り込んでネットに収めてからしばらく、ボーッと気持ちが飛んでしまい・・・
写真を撮るのも忘れ、しばらく見入ってしまいました。
実に美しい、居るんですねそんなに遠くへ行かなくても・・・
当然、リリース・・・
ズーッとアングラーを楽しませてください。
無心で振り続けた13フィート5インチのスペイロッドを
ズズーンと引き絞った、本流育ちの「虹鱒」・・・
取り込んでネットに収めてからしばらく、ボーッと気持ちが飛んでしまい・・・
写真を撮るのも忘れ、しばらく見入ってしまいました。
実に美しい、居るんですねそんなに遠くへ行かなくても・・・
当然、リリース・・・
ズーッとアングラーを楽しませてください。