2009年12月28日
弾丸ツアー・・・・Part3
“鬼山地獄”を見学を終わり、近くの土産物店で買い物を済ますと
後は、バスで名古屋まで12時間の超ロングドライブ。
ひたすら車窓の景色のみ、寝て起きてトイレ休憩の10分~15分のみ
昼食もバスの中・・・・
九州から本州へ
ひたすら、名古屋へ運転手も交代で飛ばす飛ばす・・・・
来年もよろしく。
後は、バスで名古屋まで12時間の超ロングドライブ。
ひたすら車窓の景色のみ、寝て起きてトイレ休憩の10分~15分のみ
昼食もバスの中・・・・
九州から本州へ
ひたすら、名古屋へ運転手も交代で飛ばす飛ばす・・・・
来年もよろしく。
2009年12月27日
弾丸ツアー・・・Part2
朝、5時30分新門司港に到着、下船後バスに乗り九州自動車道を
熊本に向け出発、窓の外はまだ夜状態。
途中、広川SAで休憩と朝食を購入、バスの中で朝食。
熊本ICから阿蘇へ、途中、阿蘇ロープウェイが有毒ガス警報の為
動いていない情報があり、風向きが変わる事を祈りつつ、とりあえず
ロープウェイまで行く事に・・・・
ロープウェイに着いても、事態は好転せず、ロープウェイで待っていても
埒があかないため、昼食を取る“草千里”のドライブインで時間をつぶす。
“草千里”は冬の為枯れた草原に・・・・ハイシーズンの緑が青々とした季節に
訪れてみたい。
新しい情報で、風向きが変わった為、ロープウェイが動き出し、さらに火口付近まで
近づく事が出来る様になった。
“砂千里”と呼ばれる旧火口跡。
阿蘇を小一時間の観光を終え“九重の大吊り橋”へ日本一の吊り橋だそうです。
ここの観光は50分程。
“九重の吊り橋”を後に、湯布院へ移動、これぞ弾丸ツアー・・・
湯布院の観光時間はこれまた1時間。最初に“金鱗湖”へ出掛けた。金鱗湖は明治17年に
儒学者“毛利空桑”が名づけたそうです。
“金鱗湖”観光の後、美味しそうな“どぶろく酒”を見つけ、ホテルで
飲む為購入。
湯布院観光の後は、別府温泉“海地獄”が本日最後の観光地
“海地獄”から近くの「おにやまホテル」が今日の
泊り処。
熊本に向け出発、窓の外はまだ夜状態。
途中、広川SAで休憩と朝食を購入、バスの中で朝食。
熊本ICから阿蘇へ、途中、阿蘇ロープウェイが有毒ガス警報の為
動いていない情報があり、風向きが変わる事を祈りつつ、とりあえず
ロープウェイまで行く事に・・・・
ロープウェイに着いても、事態は好転せず、ロープウェイで待っていても
埒があかないため、昼食を取る“草千里”のドライブインで時間をつぶす。
“草千里”は冬の為枯れた草原に・・・・ハイシーズンの緑が青々とした季節に
訪れてみたい。
新しい情報で、風向きが変わった為、ロープウェイが動き出し、さらに火口付近まで
近づく事が出来る様になった。
“砂千里”と呼ばれる旧火口跡。
阿蘇を小一時間の観光を終え“九重の大吊り橋”へ日本一の吊り橋だそうです。
ここの観光は50分程。
“九重の吊り橋”を後に、湯布院へ移動、これぞ弾丸ツアー・・・
湯布院の観光時間はこれまた1時間。最初に“金鱗湖”へ出掛けた。金鱗湖は明治17年に
儒学者“毛利空桑”が名づけたそうです。
“金鱗湖”観光の後、美味しそうな“どぶろく酒”を見つけ、ホテルで
飲む為購入。
湯布院観光の後は、別府温泉“海地獄”が本日最後の観光地
“海地獄”から近くの「おにやまホテル」が今日の
泊り処。
2009年12月26日
弾丸ツアー・・・Part1
神戸ルミナリエに続き、第二弾の弾丸ツアー2泊3日「阿蘇・湯布院・別府鉄輪温泉」に
嫁と出掛けてきました。
朝、バスは春日井からツアー客を乗せ、名鉄バスセンターから私たちを乗せ、
亀山あんぜんでさらにお客を乗せ、大阪天保山へ・・・・
天保山で大阪南港から出発までの間、昼食と休憩で時間を過ごす、
「海遊館」でもと思い、料金を見ると高かったので止めにして、「サントリー
ミュージアム」が近くに有ったのでそちらに・・・・
「3Dの海洋ドキュメンタリー」映画を見た。
慣れるまで目が疲れた。
17時出発、大阪南港へ、市橋犯人で有名になったフェリー乗り場。
私は初体験の船旅、12時間後には九州新門司港へ
1時間後には、「明石大橋」。
これが今日の寝る所。
初体験で、夜行列車の寝台車の様・・・
21時には、「瀬戸大橋」を抜けた・・・
酒を飲んで、就寝・・・・・が、振動と乗客の話し声のお蔭でなかなか寝付かれず
うつらうつらで新門司港に・・・・・寝不足。
嫁と出掛けてきました。
朝、バスは春日井からツアー客を乗せ、名鉄バスセンターから私たちを乗せ、
亀山あんぜんでさらにお客を乗せ、大阪天保山へ・・・・
天保山で大阪南港から出発までの間、昼食と休憩で時間を過ごす、
「海遊館」でもと思い、料金を見ると高かったので止めにして、「サントリー
ミュージアム」が近くに有ったのでそちらに・・・・
「3Dの海洋ドキュメンタリー」映画を見た。
慣れるまで目が疲れた。
17時出発、大阪南港へ、市橋犯人で有名になったフェリー乗り場。
私は初体験の船旅、12時間後には九州新門司港へ
1時間後には、「明石大橋」。
これが今日の寝る所。
初体験で、夜行列車の寝台車の様・・・
21時には、「瀬戸大橋」を抜けた・・・
酒を飲んで、就寝・・・・・が、振動と乗客の話し声のお蔭でなかなか寝付かれず
うつらうつらで新門司港に・・・・・寝不足。
2009年12月18日
忘年会・・・
会社の忘年会なんぞでたくもないが、「S木師匠」頼まれた
忘年会の取りまとめは、喜んでやらせていただきました。
何時もの年ならイタリア料理やスペイン料理で行うのだが
不況と言われている中でちょっと豪勢にはできないかなと思い“90分”飲み放題の
居酒屋にしたのは、少しマズッた・・・・ごめん
弐次会でまたこれは近くのライブハウス「アルマジロ」へ繰り出しました。
「アルマジロ」名前から想像できない、カントリーミュージックのお店です。
生演奏で呑むお酒は大変美味しく、非常に楽しく過ごすことが出来、
心地よかった・・・・。
忘年会の取りまとめは、喜んでやらせていただきました。
何時もの年ならイタリア料理やスペイン料理で行うのだが
不況と言われている中でちょっと豪勢にはできないかなと思い“90分”飲み放題の
居酒屋にしたのは、少しマズッた・・・・ごめん
弐次会でまたこれは近くのライブハウス「アルマジロ」へ繰り出しました。
「アルマジロ」名前から想像できない、カントリーミュージックのお店です。
生演奏で呑むお酒は大変美味しく、非常に楽しく過ごすことが出来、
心地よかった・・・・。
2009年12月10日
性懲りもなく・・・再び
揃いも揃った7人で、懲りもせず熊野へ、柳の下の何とかを・・・・求めて
御馴染みの深夜発、集合時間にちょこっと時間に遅れた。
目覚ましを止めて二度寝した・・・・ごめん。
2台に分乗して、まだ暗い目的地に、何時ものように急いで支度して
浜に向かう。眼を凝らして水面を凝視、水平線を朝日が・・・
陽が昇り、相変わらず何も起きそうもない、状況な海、遠くでナブラらしきが
起きるが、為す術無し。
美味しい寿司を求めて移動、途中熊野名物“秋刀魚の干物”を御土産に購入。
肝心の鮨屋さんは探せど暮らせど見つからず、熊野の街の鮨屋さんをナビ頼りに
1件づつあたり、ここはどうかなと云うようなお店で購入、“秋刀魚寿司”と“鯖寿司”
「O田先生」が仕入れてきた情報の浜で“秋刀魚寿司”と“鯖寿司”を賞味する為に
移動、ちょこっと鄙びた港の奥へ、幅の大きな車では厳しい道路を進んで、御寿司を
広げ昼食、眼は海を見つめ何かを期待しながら・・・・
期待が本物に変わった、寿司を食べ終わり釣り支度をして磯場に立って前方の海を
観ると、途轍もないナブラの嵐・・・・が、なかなか近づいてはくれない!
指をくわえて沖のナブラを悔しい思いで見ているだけ、対岸近くでナブラがかなりの時間
湧いていた。対岸に移動、岸に立ってみるとナブラが起きたと思う処は近くは無かった。
ところがその岸近くを 信じられない怪物が、その岸近くを・・・・
唖然としたが釣り人の性で歯が立たないと判っているが、全員、怪物に向かって無謀なキャストを繰り返した・・・が何事も起きない。
御馴染みの深夜発、集合時間にちょこっと時間に遅れた。
目覚ましを止めて二度寝した・・・・ごめん。
2台に分乗して、まだ暗い目的地に、何時ものように急いで支度して
浜に向かう。眼を凝らして水面を凝視、水平線を朝日が・・・
陽が昇り、相変わらず何も起きそうもない、状況な海、遠くでナブラらしきが
起きるが、為す術無し。
美味しい寿司を求めて移動、途中熊野名物“秋刀魚の干物”を御土産に購入。
肝心の鮨屋さんは探せど暮らせど見つからず、熊野の街の鮨屋さんをナビ頼りに
1件づつあたり、ここはどうかなと云うようなお店で購入、“秋刀魚寿司”と“鯖寿司”
「O田先生」が仕入れてきた情報の浜で“秋刀魚寿司”と“鯖寿司”を賞味する為に
移動、ちょこっと鄙びた港の奥へ、幅の大きな車では厳しい道路を進んで、御寿司を
広げ昼食、眼は海を見つめ何かを期待しながら・・・・
期待が本物に変わった、寿司を食べ終わり釣り支度をして磯場に立って前方の海を
観ると、途轍もないナブラの嵐・・・・が、なかなか近づいてはくれない!
指をくわえて沖のナブラを悔しい思いで見ているだけ、対岸近くでナブラがかなりの時間
湧いていた。対岸に移動、岸に立ってみるとナブラが起きたと思う処は近くは無かった。
ところがその岸近くを 信じられない怪物が、その岸近くを・・・・
唖然としたが釣り人の性で歯が立たないと判っているが、全員、怪物に向かって無謀なキャストを繰り返した・・・が何事も起きない。
2009年12月05日
15年振り・・・
神戸に、奥さんと娘の3人でバスツアーで行って来ました。
15年前の震災の時、社命で復興支援に1ヶ月滞在していました。
震災の後の神戸は、とても言葉では表せないほど悲惨な状況で、
三宮のアーケード街も眼を覆いたくなる惨状の街でした。
そんな状況でも人々の顔には笑顔や活気が有った気がしました。
15年も経ってやっと、復興した神戸を見る事が出来、感無量でした。
三宮のアーケードをぶらぶら、お店を覗き歩いた。15年前に見たあの状況から
想像も出来ない位、綺麗なアーケード街に変わっていました。
バスツアーで昼食は港にある“フィッシャーマンズマーケット”でバイキングを
ゆっくり頂き、車で出かけたなら呑めないビールを味わった。
とても広い食堂で相当な人数が昼食を摂っていた。
メインイベントは、ルミナリエ・・・・
“ルミナリエ”を見終わって、軽く夕食を“南京町”で摂るために
夕闇の神戸をそぞろ歩き。
美味しビールと中華を堪能して帰宅。
15年前の震災の時、社命で復興支援に1ヶ月滞在していました。
震災の後の神戸は、とても言葉では表せないほど悲惨な状況で、
三宮のアーケード街も眼を覆いたくなる惨状の街でした。
そんな状況でも人々の顔には笑顔や活気が有った気がしました。
15年も経ってやっと、復興した神戸を見る事が出来、感無量でした。
三宮のアーケードをぶらぶら、お店を覗き歩いた。15年前に見たあの状況から
想像も出来ない位、綺麗なアーケード街に変わっていました。
バスツアーで昼食は港にある“フィッシャーマンズマーケット”でバイキングを
ゆっくり頂き、車で出かけたなら呑めないビールを味わった。
とても広い食堂で相当な人数が昼食を摂っていた。
メインイベントは、ルミナリエ・・・・
“ルミナリエ”を見終わって、軽く夕食を“南京町”で摂るために
夕闇の神戸をそぞろ歩き。
美味しビールと中華を堪能して帰宅。